22/02/12

・突発的かつ原因が明確すぎる不調に襲われ、苦しい!!
具体的には腰が爆烈痛いです。

・そのため今日は何となくぼんやりした一日であった。

・↑これは言い訳であり、自分は一年の半分くらいはぼんやりした日を過ごしている。生活に集中力を割いている日など数えるほどしかなく、だいたいはゴム手袋越しの質感を欠いたような感覚にある。
その割に昼食をちゃんと昼と呼べる時間に食べたので、まあ100点の日なのではないでしょうか。

FGOで様々なサーヴァントにチョコレートを投げ、また投げられなどした。
FGOをプレイしているとソシャゲをやっているオタねえ~~👍️👍️の気力が充溢してくるので、なんとなく画面を眺めているだけでオタクごころが満たされ非常に楽しい。

太公望のこと何もわからん……。自分はきっと太公望が好きだが彼のことにひとつも得心しておらず、「太公望を推している」ではなく「推し属性を備えたキャラクターを推している」という有り様であり、たいへん申し訳ない。

・詳細は省くが太公望のバレンタインシナリオに少々乙女ゲー的な台詞表現があり、それに一切の照れを覚えなかった自分に少しだけ驚いた。
5年……?6年前かそこらに『遙かなる時空の中で4』と『ディアボリックラヴァーズ』をプレイした際まあそれなりに照れた記憶があったので、これは自分の感性が変わったのか主人公存在との向き合い方が変わったのか。

・今ちょっと考えてみたが、思うに自分は太公望が妻帯者である点を推しており、主人公に対する信愛の振る舞いは奥方へのソレっていう先例があることに重きを置いている。
礼装フレーバーテキストのラストに最もぐっときたが、そのぐっときた感情は「主人公が奥方と同等の信愛を向けられている」というより「奥方との経験を経てそれが信愛の情を伝える方法になっている」点に起因しているみたいだ。

・以前プレイしたゲームで感じたこっ恥ずかしさとはいわゆる恋愛における感情の機微そのものであり、あえて諸々を切り捨ててひとつに絞るなら「こんなスマートな振る舞いをしておいて照れるんだよな……」と思ってしまう共感性羞恥と推しへの幻想だ。
自分は非常にカッコつけでありボロが出るのを恐れているため自分のハンドルはガッチリ握っていないと気が済まない。そのため自分がこんなカッコつけた後照れたら照れたらことが恥ずかしいよな……と思ってしまう。
また、自分はカッコつけたら一生カッコつけ続け貫き通す存在を推しているのでその幻想を押し付けた末の一方的な照れもある。

・つまり太公望の振る舞いに照れを感じず素直にぐっときたのは「コイツは多分こういうことしても一切照れないだろうな。なぜなら奥方と既にやったことだから」という彼の経験から推測した確信だ。推測した確信? まあ、解釈です。

・ここでもう一つ付け加えるとすれば、自分の感性の中で恋愛と婚姻関係が直接的に結び付いていないことが挙げられるかもしれない。
好き合っていると婚姻が接続しないんだよな。これは自分が身を置いている環境が大いに影響していると思うので自分が真にどのような感性を持っているかは判断がつかず、また環境も感性の一部だと思うので何とも言い難いが……。(あくまで自分はの話)(結局のところ婚姻に責任と同意があれば本人らの自由だと思うし、自分はその中でこと恋愛結婚について未だピンと来ていないというだけの話です)
つまり太公望の婚姻関係と恋愛が接続しない→奥方への情のトレースである主人公への振る舞いにも恋愛の色が含まれない、っていう流れが自分の中に成り立っているらしい。なるほどね。

・そういうわけで太公望の台詞をフツ~~に読んだわけか。なるほどな~~。

・こうして改めて考えてみると自分は「恋愛」ってものが嫌いなのか? いや、積極的に嫌いって訳ではなく興味が無いってのが正確か……でも推しと推しの恋愛カップリング二次創作は常に見たいしな。
己の中で恋愛(及びコンテンツ)をどう整理するかここ数年定期的に考えているが中々答えが出ない。難しいですね。
恋愛というものを自分の中で客体化したいが、うまくいかない。これも上手く言葉にならないな。

・ただまあ自分の感性について明け透けに明文化するのは初めてなので、それだけで日記をやっている意義はあるかもしれない。日記なのか? これは……。

・今描きたいやつ→パンの袋の端を結ぶ時何も考えずにやってるけどこれ切り取って描くの難しいだろうな~~描いてみたい